CONCEPT回遊空間

  • リビング・ダイニングの場所

    ・家族全員がくつろげ、隔たりなく会話ができる のがリビング・ダイニングと考える。
    ・そのために、家族が自然と集う場所、
    また、集いやすい場所にリビング・ダイニングが あることが重要である。

  • 和室の存在

    ・お正月やひな祭り、端午の節句、茶道や生け花 などの日本の文化の多くは、和室で培われたもの である。
    ・これらの文化を子供に伝えることは、日本文化 の継承ということに加え、情操教育にも役立つ。
    ・また、和室では正座が基本となるため、正しい 姿勢をつくるなど、子供の健康にとっても必要で ある。

  • 子供部屋の存在

    ・子供の自主性や創造性を養う空間である。
    ・そのためには、子供が自由に使え、安らげる 場所でなければならない。
    ただし、環境や友達関係に影響されやすいのが 子供である。 そのため、親が一定の規制を、 あくまで自然にできる空間でなければならない。

  • 大人部屋のあり方

    ・夫婦が、ともに落ち着ける場所であること。
    ・子供のことや会社のこと、ご近所関係などの相 談が、夫婦間で自然にできること。
    ・そのために、子供とは一定の距離を置いた、夫 婦のプライベート空間であること。
    ・ただし、子供が親に用事がある場合には、訪れ やすい雰囲気でなければならない。

回遊空間 
~家族とともに成長する住まい~
プランナー 佐藤 百合

そう、どこか懐かしい...
回遊空間は故き良き時代の日本家屋が原点にある。

今の時代、「故き良き時代の日本家屋」を知っている人はどれだけいるでしょうか?私ごとになりますが、私の生家は玄関の引き戸を開けると、式台のある土間を経て家族が集まる茶の間がありました。ご近所の方は茶の間に上がらず、縁側や式台に腰掛け、家族は緑茶と漬物でお客様をもてなす風景をよく見たものです。茶の間から和室の続き間があり、その外側に縁側、ぬれ縁・・・・。

和室と和室、または和室と縁側、縁側とぬれ縁の境は襖や障子、引き戸という希薄な間仕切りで仕切られ、今思えば内と外との境がはっきりと分かれてはいなかったような気がします。和室の続き間の上部には透かし彫りのされた欄間があり、襖を閉めていても光と南風が吹き抜ける家屋でした。


また、ご飯はかまどで薪をくべて炊きあげ、土間の台所と茶の間の間には茶箪笥と呼ばれる両面が引き戸で出来た造り付けの家具があり、そこから配膳を手伝っていたものです。 自分の部屋といえば、早くから家屋の2階の一室を与えられていたものの、そこでは寝ることもなく仏間でもある曾祖母の部屋で、共にまくらを並べて昔話を聞きながら、眠りにつく毎日が12歳の夏まで続きました。

夏は蚊帳を吊り、部屋の隅には蚊取り線香を置き、冬は行火(あんか)で暖をとり、床につく。家族の部屋といえば襖で仕切られているため、就寝の邪魔をしないよう会話も自然と声をひそめる。窮屈ながらも、家族との接点が多く見られる家屋、それが本来の日本家屋だったような気もします。

家族の団欒、そして、子供たちの人格形成。
住まいの構造は、そこに暮らす人々の"生き方"を演出する。

以前の日本の住宅事情はたいていの家庭が2世代、3世代に渡りともに同居し、子供達は父親を怖い存在と教育され、父親たちもまた、威厳を保ちながら家族の核となっていた時代。日本の家屋は、はっきりと仕切られた自室という空間が無かったためか、人への気配りや協調性が自然と養われた空間であったようにも思われます。団塊世代の人が言います。「自分たちの時代の不良はかわいいものだった」と。また 「昔は凶悪犯罪など日常ではあり得なかった」とも。それはなにも年代の差ではなく、悪いことを悪いと叱り、よいことをすれば誉めるという、ごく自然な家族関係、家族どうしでの接点にあったのではないでしょうか?

対人関係にも言えること。和室という座の空間で、古来より日本人は来賓を迎えるときの挨拶として、三つ指をつく文化が存在します。それも正座が出来る和室の存在があって初めて生まれたものでした。来賓が立って挨拶するのに対し、家人は正座で出迎えます。高床式の家屋にとっては、迎える側の家人と来賓との間に、実に調和のとれた視線の交わし方が生まれます。礼儀作法を養うのも和室という座の空間があってこそ。

廊下の存在にもまた、変化が見られました。現代の廊下といえば、一戸建てにしろ、マンションにしろ、個室とリビングを分断し、通路としての機能しか持たないものへと変わりました。本来の日本家屋の廊下は、和室と和室が通過できる構造ではあったものの、人の部屋を通過しないように、あくまでも外部に面した位置に和室を取り囲むように配置された開放的な存在でした。社会事情の変化にともない、現代は家族間での会話が少なく、子供とのコミュニケーション不足、またはディンクスカップルの増加というように、食卓を囲む家族共存の文化は無くなりつつあります。

では、接する時間が限られる現代の生活にとって、従来型の間取りでよいものかと考えたところ、家族間でのコミュニケーションにとって、廊下の存在と玄関の位置が大きく影響することに気づきました。玄関を入り、廊下が間取りのセンターを貫いて、その左右に居室、水廻りを配しては家族の接点を断ち切るものになりかねません。いまや廊下は開放性を失った、ただの通り道としての存在になりました。

空気と、光と、人が巡る。
現代の家族を優しく包む、回遊空間。

パンテオンの回遊空間は、その名のとおり光と空気が回遊するサーキュレーションプランです。 サッシュの開口部を対角線上に配置し、理想的な通風をもたらすよう考えました。また、リビングと水廻りを仕切る引き戸の上部は欄間状に開放し、水廻りの気温差を無くす役目もはたしています。子供部屋の考え方にもこだわりがあります。子供には部屋を与えてあげるのでは無く、独立するまで部屋を貸してあげるという考え方です。ですから、子供部屋には鍵は設けません。子供は親のいるところを通過して自室に入ります。これも廊下のあるタイプの間取りではかなわないこと。

持ち家のパーセンテージが増えてきた昨今、一室を与えられて育った世代の大人たちが住宅を持ち、子供に一室を与えることが当たり前の感覚になり始めてきた現代だからこそ、今一度家族の関係について考えてみてはいかがでしょうか? 廊下というデッドスペースをなくした回遊空間は、オープンスタイルでありながらも家族間でのプライバシーや、来客時のプライバシーにも考慮した空間に仕上げています。センターコアに設けたドレッサーホールを中心に展開する間取りと家族のコミュニケーションのあり方は、故き良き時代の日本家屋が発想の原点にあります。

What's回遊空間 
時代が求める家族のあり方 

いつからこうなったんだろう。

1950年代半ば、高度成長期を迎えた経済大国日本は、住宅政策の一つとして2DKタイプの団地の供給を始めた。そこに生まれたのが、子供部屋。合理性だけを考えて造られた子供部屋が、受験戦争の影響を受けて勉強部屋となり、いつしか僕だけの、あるいは、私だけの誰にも邪魔のされない、さみしい孤独の空間となっていった。その孤独の空間は、親が子供の求めるままに、テレビゲーム、パソコン、インターネットを無条件に与えたために生まれた部屋である。

インターネット利用はますますさかんになり、いまや学校教育にまで導入され、生身の人間とのコミュニケーションの比率が低くなってきているのが現状。街中や家庭の中で、もくもくと携帯メールを親指で打っている小学生の姿さえ目撃する。父親の仕事振りにも変化が現れた。豊かな生活を求め、必死に会社に尽くす父親は、家庭生活からは影が薄くなった...。長引く不況の中、当然、家での夕食を食べる時間などなくなった。


2002年4月から、小・中学校が完全週休二日制になった。そのことで、子供の問題など母親にも悩み事は増えているが、多くの場合、相談するのも遠慮してしまうほど夫は仕事に追われ、夫婦の会話の時間が少なくなっている。外食産業の発展により、親から子へ受け継がれるはずの味はインスタント化の一途。いまでは、友達型親子が増えてきて、父としても母としても、本来あるべき親の姿が見えなくなってきている。
社会はここ20~30年の間に凄まじい勢いで変化してきた。10歳代はあたりまえで、20歳代での引きこもりも増えているともいう。子供を取り巻く生活環境は、ますます孤立化に向かっている。一戸建の場合、多くは玄関から2階の子供部屋へ直接出入が可能になり、家族を避けられるような間取りになっている。また、マンションでも同じこと。玄関側の洋室を子供部屋にしている家庭が多く、そこには錠がかけられるようになっている。まさに、孤立化である。そのような事が問題なのではないかという専門家もいる。

これからも、この家族の生活スタイルは、想像を越えたスピードで変化していくことだろう。
そんないまこそ、家族のあり方を、もう一度考えなくてはならないのではないか。

思いあたりませんか、いつの間にか独りになっている。

(1)夫婦別室をつくった夫の深夜帰り?
残業続きの夫の帰宅は、いつも深夜。寝入っている妻を起こさないよう、普段は使わない和室で着替えたり、明日の仕度をし、就寝する。妻もまた、深夜に帰宅する夫の物音で目を覚ましたくないし、部屋も自由に使えるからと気楽に考え、夫の和室の使用を認め、夫婦別室があたりまえとなってしまった。いまでは、顔を合わせて会話する時間さえ少なくなっている。

(2)休日の夕食時の小言は効かない?
休日の夕食時くらいである、家族全員が揃うのは...。親子が落ち着いて会話できる、唯一といってもよい時間でもある。話題になるのは、黙々と箸をすすめる子供の事。学校の事を子供に聞いても、うなずくか「別に...」。興味のありそうな話で会話を引き出しても、ケータイが鳴れば、子供はケータイとともに自室に消えていく。子供といる時間が比較的長いはずの妻は、それを当然と思っているようだ。

(3)電気が付けっぱなしの子供の部屋?
子供にせがまれるまま、パソコンを買い与えてしまった。それ以来、学校から帰ると「ただいま」も言わずに部屋にこもってしまう。おやつに呼んでも「いらない!」。夕食の時でさえ、一口二口食べてすぐ部屋に戻ってしまう。真夜中、子供の部屋の前に立ってみると、まだ起きている気配がする。朝になり、起こしに行くと、パソコンを付けたまま、机に伏して寝ていた。

子供の健全な成長のために必要なこと。それは、子供との「接点」を、自然に多く持つようにすることではないだろうか。
教育論や子育て論によって、子供が親の思った通りに育つということは少ないだろう。また、何もしないほうが、上手に育つこともあるだろう。こうした方法論を考えるよりは、子供との距離感を考えること。すなわち、子供との「接点」について考えるほうが重要である。
しかし、(2)のように時々顔を合わせ話をするような意図的に創られたコミュニケーションであれば、子供は親の話を煙たがるようになる。そうならないためにも、子供との接点は、自然でなければならない。
子供との自然な接点が多くあれば、いずれは、すれ違うだけでも子供の様子が理解できるようになる。その「勘」を養うこと、すなわち、「子供と一緒に親も育つ」ということが大切である。

建物からはじまるストーリー

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